私の提言(原稿V01)

社内報の原稿依頼があった。せっかくなので、ここで書いてみよう。
テーマは「私の提言」

提言とは、
こうしたらいいとか、こんなことはどうだろうと意見を皆の前でさらすこと。




私は就職氷河期に就職活動を行った世代である。

大学を留年した間、バブルがはじけた。
それまでバブル期の就職活動というのは、ちょっとした楽しい食事会や小旅行みたいな感じだったのが、その一年で企業の学生の扱いが一変した。入社試験の資料請求のはがきのまともな返事が圧倒的に少なくなった。


ましてや大学の成績が悪く、留年している私に対し、大手企業の扱いはこの1年の差でとても冷たかった。
よく面接で聞かれたのが、留年の理由だった。なにかもっともらしい理由があればいいのだが、ほんとうのところ、正直に勉強を怠けていたと答えるしかなかった。


同級生が新社会人として充実した(ように見えた)都会の生活をスタートしている一方、
一人取り残されたなあ、しまったなあと思っていた。とくに理由はないが、なんとういうかやりきれず太田裕美とかを聴いていた。
みま違うようなスーツ着た僕の姿をみてくれ。


いまの会社の面接でも、「君の成績は悪いねえ。何か理由があるの?」と質問されたことを覚えている。そして「これからがんばります。」と答えたのをいま思い出した。そうだ、がんばらないといけない。
内定をもらった当時、卒業できなかったので大学の寮を追い出され、違法ではないが、ちょっとわけありのところに住んでいたので、住所が怪しいから内定取り消しになるのではないかとびくびくしていた。それぐらいなんとか社会に出なくてはと切羽詰まっていた。

いまでもたまにこんな夢をみる。就職したにもかかわらず、卒業単位が足りず、数単位の授業を受けるためだけに、会社と大学を行ったりきたりするのだ。



昨今の格差社会、ワーキングプアといった言葉はメディアが強調し、伝えている部分もあるのだが、就職氷河期が始まったあの1年、根拠のあるのかないのかわからない理由であのように手のひらを返したように変わる企業への不信感からすると当事者として言いたい事はわかる。
もちろん私のような怠け者は自助努力が足りないでそれまでだが、その後の失われた世代に対する企業の扱い、派遣会社の躍進、好景気を考えると、我々世代は覇気がないなどと、ガッツが無いなど、一部の企業経営者や日経新聞に一方的に決めつける。(逆に日経新聞団塊の世代の活用をうたっている)そんなやつらにモエカス世代と言われてたまるか!



日本の雇用体系?の制約上、ミスマッチを恐れ、企業の要望を満たす人材を見つけるのが困難なことは理解できる。だが、新卒採用の他にもやり方があるのではないか。



昨年の夏、大学の先輩を訪ねた。先輩は東京から船で片道27時間を要する島で公務員をしている。先輩は私と同い年だが先輩だ。同じ就職氷河期を経て、何年かバイトしながらぎりぎりで公務員試験に合格した。一見努力家のようだが、住み込みで働いていた寿司屋が全焼、漫画雑誌とコンビニ弁当かすだらけの部屋も燃え何もかもがなくなったとき、ゴミ捨ての手間が省けてよかったと言うくらいのズボラな人間である。まさにモエカス世代である。


行きの船の中は、本格的なダイビングを満喫しようとする自然を愛する人があふれ、さながら素敵な地球船宇宙号といった感じだった。とくに目的もなく友達の家に遊びにいく感覚のひとりぼっちの私には、すごく場違いなところだった。


島は奇麗な海や自然がそのまま残されていた。


そこでの先輩の言葉が忘れられない。
「一年中 この天気で このきれいな海 というのも 逆に辛いんだよ。」