終焉

昨日今日とコンビニに設置させてもらっていたシステムを回収してきた。


昨日の日記ではその回収の過程で、コンビニの駐車場に設置していた「のぼり」を一人土砂降りの雷雨のなか取り外したことに対するあてつけである。






そんなことはどうでもいい。



けっこういい場所に置いてもらっていたので、取り外した後は、店員さんに「さみしくなりますね」と言われたりした。どこの店舗の店員さんもよくしていただき、たいへんありがたかった。

ほんとうにありがとうございました。




昨日か、今日の日経で糸井重里が、いいことを言ってた。(糸井重里はあんまり好きじゃないのだけど)

誰でもできると思う仕事でも誰がやるかによって違ってくる。スーパーのレジ打ちでも自然に出た笑顔でないと、お商売の笑顔ね、とお客さんから見破られてしまう。時間給だけで考えるとしっぺ返しがきます。

原点に立ち返るべきです。昔は建具屋さんに建具を頼むと、ついでに棚も作ってくれました。人の役に立つのが働くということ。文字の無い時代から、仕事にはそうした心がありました。商いをして得をする、それが仕事という歴史の方が浅いのです。

最近目的意識に合わせたことしかできない人が多すぎます。何かの役に立つことなど、人生の何分の一あるかないか。役に立たないことの方が多いのです。ところが、それがまた役に立ったりする。

日経 2008年3月24日 


このシステムもなにかの役にたったのかしら。